被災地から頂いた4枚の写真
2011年 05月 21日
で仕事している
goldenmap さんから4枚の写真
を頂きました。
岩手県の南、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町を
気仙地域と呼びますが、宮城県の気仙沼市とは違う所です。
以下 goldenmap さんから頂いたコメントと4枚の写真です。
1枚目の写真は大船渡市の市営球場に建てられた仮設住宅です。
手前に内野席、向こうに小さくスコアボードが見えるのがわかりますか?
こんなふうに子供たちは、校庭だけでなく球場まで奪われてしまいました。
そこで、学校が終わると、子供たちは野球やサッカーなどの
クラブ活動を行うためにバスで隣の町の球場や校庭に出かけていきます。
卓球や剣道など室内競技は教室で机、椅子を片付けて行っています。
この震災の2次的な被害者は子供たちです。
それでも、子供は元気です。笑い声を上げ、じゃれ合いながら
楽しそうにバスに乗り込んでいきます。
2枚目の写真は建設中の仮設住宅を見下ろしているおばあちゃんです。
たいていの仮設はプレハブの長屋形式ですが、ここ陸前高田市の
オートキャンプ場に建てられているのは一戸建て、木造の仮設住宅です。
松林の左向こうには、青く広がる美しい陸前高田の海と、
その更に向こうには瓦礫と化した高田市街が望めます。
被災していない時に来ていれば、高田松原とうたわれた
7万本の松林が見えたことでしょう。
おばあちゃんは、
「この間は、あだりで採れるウドやタラッポ、
ミズ、シドゲだの山菜も食べだもの」
(この周囲で採れる山菜も食べました)
「2か月たってだいぶ元気になったもの。
こんな仮設はこごが初めでなんだど。
うずんのが楽しみだあ。」
(木造一戸建ての仮設はここが初めてだそうです。仮設に移るのが楽しみです)
と話してくれました。
初めて訪問した私に、帰り際には
「まだ来てね、ほんとにまだ来てね」
と人恋しそうに何度も手を振ってくれました。
3枚目の写真は大船渡市の県立病院跡地に建てられた仮設住宅です。
奥の方、手をつないで歩いている老夫婦は、手前側にある坂の下り口まで歩いて行って、坂の下に広がる被災した町、自分たちが住んでいただろう家屋が取り壊されていくのを見守るのが日課になっています。
話は聞けませんでしたが、どんな思いで町の残骸を眺めているのでしょうか。
ただ、80歳は過ぎている様子の二人が、それでも支えあうように手をつなぎ歩いている姿を見ると心が温かくなってきます。
4枚目の写真は廃墟に掲げられた感謝の言葉です。
お年寄りの多くが、「この年になってこんなひどい目に合うとは思ってもみなかった」と嘆きます。
しかし、その一方で、淡々とそれを受け入れ明日に向かって歩み続けるお年寄りもいます。
しっかりと前を向ける方は、やはり誰かとしっかり繋がっている方です。
それは、夫婦、兄弟、子供など家族だったり、友人や隣人だったり、支援してくれるどこかの誰かだったり。
見ず知らずの多くの方が自分達を助けようとして、支えようとして手を伸ばしてくれていると感じた時は本当に勇気づけられます。
それは、今回の震災で頂いた 「ありがたいもの」 のひとつです。
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岩手県大船渡にシルバーカーを贈りたい
2011/5/20 現在
集まったカンパ=36,980円
カンパしてくれた人=パパハポンを含めて6人
購入して寄贈したシルバーカー=4台
カンパの残金=9,020円
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